公立学校の真実
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この選挙、プロレスラーのような覆面でポスターに載っていたり、全裸に近い女性がポオスターに載っていたり、都の質の低下をうかがわせる選挙に思えた。
そのような中、小池さんが当選するだろうと思う。いわゆる組織票という力だ。だが、演説を見る限り、小池さんはかなりパッシングが起きている。
「嘘つき」「辞めろ」など手拍子が出ている。
蓮舫さんは二重国籍とかなんとかで責められているのだが、いいの2重国籍の可能性がある中で出馬して。
わからない、世の中が。
まあ、自民党は腐っても自民党だが、いいかげん人間の根本からやり直してくれ。
野党は日本を守ってくれない。
いったい日本の政治はどうなっているのか。
愚痴はやめて、自分の仕事をしっかり頑張ろうと思う。自分の仕事、相談支援にかなり面白味と真剣みが出てきた。頑張るぞー、意欲が出てきた60代後半のおやじ。
自分も身を潜めたくなってくる。
特に性的な失態でニュースに載ると、驚嘆する。
なぜこんな人が教員をしていたのだろうと思う。
確かに、生徒はかわいいし、なついてきてくれれば、愛おしさが増す。
だが、そこまでだな。
例えば、よく「先生-大好き」なんて60過ぎても言われることがある。
それは、教師という立場に対してなついてくるのであり、60代のおじいさんの私にではない。勘違いして、もてているなど思えば、終わりだろう。
私も教え子がよく遊びに来てくれたり、成人すれば一緒に飲みに行ったりする。今やっている商売を手伝ってくれる子もいる。
60代後半のおじいさんを相手してくれるのは教え子だけだ。
そこらに歩いている60代後半白髪頭の人に興味を持つ人などいない。
それは教師の特権というべきものだ。
その特権を乱用してはじけてしまわないようにしよう。私たちは、しっかりおじさん、おじいさんであることを自覚していよう。
元同僚で、詐欺、セクハラ、女性への迷惑行為などで新聞に載り人生をつぶした人は後を絶たない。
教頭から平の教員へ降格した人を2人知っている。一人はセクハラで、一人は自分から思うところがあってだ。目を見張るのは、セクハラで降格したにも関わらず、部活動で県で優勝させ、復権を得ている人。すごいというか、図太い精神の持ち主だ。
自分に思うところがあり降格をした人は、地道な人で信頼するに値する人だ。
最困難校へ行き、頑張っている。
こう見ると、人生は分からない。
たとえ実績を称えられながら校長を退いた人でも、すぐあの世へ行った人、人知れず年金で生活をしている人(こういう人が大半)がいる。
人生これからという時ではないかと思うのだが。
Cさんは中学1年生。彼女が最も苦手なのは数学の授業。特に分数や小数の計算になると、教室で一番最初に手が止まるのがCさんだ。彼女にとって、分数の足し算や引き算はまるで異次元の言葉のように感じられる。
例えば、ある日の授業で、先生が黒板に「」と書いたとき、Cさんの頭の中は真っ白になった。周りの友達がスラスラと解いていく中、Cさんは手元のノートを見つめながら必死に理解しようとしたが、どうしてもわからなかった。
Cさんにとって、数字は単なる記号以上のものには見えず、どのようにしてこれらの記号が意味を持つのかが理解できなかったのだ。授業が終わった後、Cさんはため息をつきながら教室を出て、次の授業に向かった。その夜、家で宿題をしているときも同じ問題に取り組んだが、やはり解けなかった。
そんなある日、Cさんは算数の文章問題にも挑戦してみた。問題は「りんごが3個ありました。さらに2個買いました。合計で何個になりますか?」というもの。Cさんは、りんごの数を頭の中でイメージしようとしたが、数が増えるにつれて混乱してしまった。結果として、何度もやり直しを繰り返し、最終的には諦めてしまった。
数の大小や順序の理解も難しく、先生が「1、10、100の順に並べてみましょう」と指示すると、Cさんは「1」と「100」の位置を混同してしまいました。彼女は、数が大きくなるほど数値が増えるという基本的な概念が理解できていなかったのです。
さらに、「1と100のどちらが大きいか?」という質問に対して、Cさんは「1の方が小さい数字だから1の方が大きい」と答えてしまいました。この回答は、数の大小関係を理解していないことを示しています。
Cさんのこうした困難は、彼女自身だけでなく、周りの大人や教師にも理解されにくいものであった。彼女が算数の授業で苦労している姿を見て、先生たちもどう支援すればよいのか悩むことが多かった。
山中優里さんの話
まずは東大生の山中優里さんのエピソードをご紹介。彼女はADHDと診断され、その影響で授業中に集中できず、実験中には器具を壊してしまうことが多々ありました。
ところが、彼女は自分なりの対策を講じて困難を克服しています。
例えば、必要なものを一つの袋にまとめたり、使い捨ての皿や箸を使うことで、紛失や後回しを減らしています。
また、大学の支援体制も積極的に活用し、理学部支援室でサポートを受けることで、学業に集中できる環境を整えています。
今では、少しずつ困難を克服し、充実した学生生活を楽しんでいるそうです (Todai Shimbun)。
きよきよさんの話
次に、きよきよさんのエピソードです。彼は発達障害の子どもを持つ親として、特性を理解し、それに合った対応をすることの重要性を痛感しています。
初めは「どうしてできないの?」と責めることが多かったそうですが、特性を理解し、「この子の特性からすると、こうしたら改善できるかな?」と考えるようにした結果、親子関係が改善されたとか。
きよきよさんの投稿は、多くの共感を呼び、発達障害の子どもを持つ親たちにとって大きな励みとなっています。特性を理解し、適切な対応をすることで、家族は少しずつ前向きに進んでいるとのこと (grape [グレイプ])。
まどりさんの話
ASD/ADHD/LD併発の発達障害を持つまどりさんの話も興味深いです。
現在、在宅勤務をしながら一歳の娘を育てている彼女は、発達障害の特性を理解し、自分なりの対策を講じることで、日常生活の困難を克服してきました。
まどりさんのブログでは、自身の半生や発達障害に関する情報、障害者雇用に関する情報を分かりやすく紹介しており、多くの人々にとって参考になる内容を提供しています。
彼女自身も、多くの支援や理解を受けながら、発達障害と向き合い、前向きに生活を送っている様子です (不注意型の眠り姫 - 当事者の声で作る参加型ADDメディア)。
なおさんの話
次は、双極性障害と発達障害を持つなおさんのエピソード。
「生きづらさJAPAN」というオンラインメディアを運営し、発達障害の特性を理解し、自分に合った対策を講じることで、日常生活の困難を少しずつ克服しています。
特に、オンラインでの交流を通じて、多くの共感と支援を得ることができたそうです。オンライン会は、発達障害やその他の生きづらさを抱える人々が集まり、互いの悩みや経験を共有する場となっており、多くの参加者にとって貴重な交流の場となっています (HikiPOS)。
ダイヤさんの話
最後にご紹介するのは、パンセクシャルでポリアモリーのADHD当事者、ダイヤさんです。
彼女はオンラインカウンセラーとして活動し、発達障害と向き合いながら、自分に合った対策を講じることで、日常生活の困難を克服してきました。
特に、オンラインサロンやYouTube配信を通じて、多くの共感と支援を得ることができたと話しています。
ダイヤさんのブログでは、発達障害やセクシュアルマイノリティーに関する情報を提供し、同じような境遇の人々と繋がることを目指しています。これにより、多くの人々にとっての励みとなっているのです (不注意型の眠り姫 - 当事者の声で作る参加型ADDメディア)。
最近、教員調整手当の引き上げが発表され、現行の4%から最大10%になるというニュースが注目を集めています。この増額の背景には、深刻な教員不足があり、特に若手教員の離職率が高い現状が問題視されています。しかし、この手当の引き上げだけで教員不足が解決するのでしょうか?
まず、具体的なデータを見てみましょう。
2021年度の調査によると、日本の公立小中高校では2,558人の教員が不足しており、全体の5.8%の学校で教員が足りていない状況です 。
特に特別支援学校では13.1%が教員不足に陥っています。小学校も大変です。
また、教員の離職理由として挙げられるのが過重労働です。長時間労働が常態化しているため、若手教員は疲弊し、教職を続ける意欲を失ってしまいます。
これは、特に小中学校で顕著です 。
手当の引き上げは、こうした教員のモチベーション向上には役立つかもしれませんが、根本的な解決策とは言えません。
さらに、親の価値観の多様化も教育現場に影響を与えています。
保護者からの多様な要望や期待に応えるため、教員は高いコミュニケーション能力と柔軟な対応力が求められます。
しかし、これらのスキルを十分に発揮するためには、適切な研修とサポートが必要です。手当の増額がこうした研修の充実につながることが期待されますが、現場の実情を考えると、十分とは言えません。
日本政府は、教育現場の改善に向けた緊急計画を立ち上げ、外部の人材確保プロジェクトに5000万円を追加予算として割り当てました 。
しかし、このような対策が実際にどれほどの効果を持つかは不透明です。
教員調整手当の10%引き上げは、それだけでは不十分だということです。
発達障害の子どもたちへの支援体制の強化や、親との連携の強化、そして教員の労働環境改善など、多角的なアプローチが求められています。
教育は未来を創る重要な基盤であり、社会全体でその重要性について考え、改革することが必要です。
教職調整額は基本給の4%、基本給が30万円だとすれば1万2000円だ。
それが10%になれば3万円だ。
今までの業務量は変わらないが、「少し増えるので、定額働かせ放題のことは目をつぶってね」と、こんな感じだろう。
ところで、4%の根拠は、1972年施行の給特法で教職調整額を定めるにあたり、1966年度に行われた全国的な教員の勤務状況調査で月あたりの教員の平均残業時間は「8時間」だったことからだ。
少ないね~
文科省の2022年度に行われた調査から平均残業時間を割り出せば、提言されている10%が適切かが分かるのだが。
調査によると、平日1日あたりの学校での勤務時間の平均は、小学校で10時間45分、中学校で11時間1分となっている。
話は逸れるが、国が残業の上限としている月45時間を超えるとみられる教員は中学校で77.1%、小学校で64.5%もいるのだ。
さて、これから平日1日当たりの残業時間を割り出すと、中学校で約3時間。
ひと月20日出勤としても、3×20で60時間となる。
土日の部活動指導時間は別としてだ。
そうすると、8時間で4%ならば、60時間ならば30%ととなる。
つまり、10%なんておかしく、根拠なしの数字ということだ。
この10%を賞賛している方々は、騙されているというか、これで手を打っているとしか考えられない。
定額働かせ放題はかわらない。業務量が増えても、10%にしたんだから世間に文句は言わせないということだろうか。
これでは教員は集まらないだろう。
しかも、教員不足の本質は、給与ではない。
業務量の多さや多岐にわたる仕事の数。
そして、発達障害など、以前よりはるかに複雑で子どもたちや親の価値観の多様性への対応の困難さなのだ。
必要なのは、同じような報告書を何度も書かせたり、形式ばった書類の作成に1日とらせたり、いらぬ慣習や仕事は止めるということだ。つまり斬新な業務の精選と効率化。そして、正規教員の各校への増員ではないか(責任がない非正規が多すぎて、正規教員に重要な職務が集まっている)。
10%か、消費税みたいやな。まあ、10%に上げておくから、定額働かせ放題なんで、教員のみなさん頑張って働いてちょうだい。というところかな。
教員の働きやすい環境を整える提言はないようだ。例えば、人を増やすとかだ。ただし、非常勤や講師ではなく教諭を増やすということだ。特に小学校は、穴埋めがしやすいので、人増やすことで、特に有益だ。
街に出ると、外国語が飛び交う。
「ここは日本か」と疑うぐらいの場所もある。
先日、京都に行ってきたが、やはり外国人が多い。
観光客か留学生か永住権を獲得した方か。いや、これは大阪も同じだ。
一緒に働いていた外国人の方たちは、みな個性が溢れている。
アメリカの男性は面白い。中国の女性はかなり自己主張が強い。
外国人が増えてくると、この自己主張によって、おとなしくはっきりしない性質の日本人たちは残念ながら隅へ追いやられるだろう。
韓国人は未だ、日本人を心の底で恨んでいる。お人よしの日本人は残念ながらそのパワーで負けるだろう。そう思った。
意外と同調しやすいのは、イスラムの人だ。本当のイスラム教徒は気を使ってくれる優しい人たちだ。
さて、移民政策を推進してきた国はことごとく大きな課題を抱えることとなった。これは明白だ。
日本は移民ではなく、老人パワーを解放させることにより経済を活性化させることが必要だ。
インボイス制度といい、e-Taxを使って税金を送れとか確定申告しろとか、IT化せよとか政府は国民に要求する。
しかし、ITにうとい老人にとって地獄だということを知ってほしい。3月に税務署に確定申告に行ったが、ご老人たちをみると、私同様にIT難民になっている感じがした。
急な方向転換や変更は、どうしても難民を作る。だから、フォロー体制をしっかり構築してから実施することが必要だ。
しかし、時代の変化に文句をつけても、自らは衰退するだけだ。
歯を食いしばりくらいついてがっちり儲けて、社会貢献に向かいたい。
障害者の相談支援事業所をやっているが、この職は儲からないということで有名だ。
自宅でやると、場所代がいらないので儲けそのままが利益になる。損失がないので、年金がある世代にぴったりの安心安全な職だと思う。
IT化や時代のな流れに飲み込まれ流されないように、ぜひ社会貢献を目指して未来を見据える青年に負けぬ老人になる。
だから私は今も小学校の臨時免許状を持っている。
校長から言われたことは、「8時30分から15時30分まで休憩なしでお願いします」、の一言だった。
へーっそんなことあるんだろうかと、まさかとなめてかかっていたが、小学校と言うところ本当に休憩なし。
朝の宿題点検や提出物の点検、連絡帳の点検、これやるだけでも相当ハードだ。しかも35人分。
遅れてくる子もいるし、やってない子もいるし、自分で提出できない子もいる。
3人がかりでやって大体なんとかできる。ああしんど~~
しかし、その朝の時点で、なんだか疲れはてる。
そして小学校の低学年の授業は一人でやる。
とにかく休み時間も子どもたちに関わり、給食など戦争なので、一番心がしんどい時。
掃除が始まって、ああ、今日も終わりかなという気持ちでホッとしてくる。
しかし、困るのはトイレだ。
他の教員にトイレ行ってきますんで、といってトイレに行くのだが、トイレの中だけはホットする場所と時だった。
こんな日々を送っていると、体力は持たず心もぐったりとなる。初めは良いが、次第に自分の防御シールドが弱ってきて、子どもたちに破られていく。
だから私は校長に言って辞めさせていただいた。
本当に休憩がなかった。65過ぎてこんな現場は無理だ。
その後しばらくして、教員が足らないからと言って中学校から引きがあった。65とうに過ぎているのにまだ依頼が来るとは、本当に教員が足らないのだ。
仕方なく、中学校に行ったが、そこは比較的平和な学校で、特別支援の教育をさせていただいた。
小学校よりはるかに楽。小学校の10分の1の労働力と言える。
ただ、間違えてもらったら困るのだが、中学校でも担任をするとこれが小学校以上になる。部活や進路やもういろいろ入ってくるからだ。
学校・・現場、普通なら物好き以外就職しないだろう。人間としての当たり前の休憩を入れることが出来るシステムをなんとか考えてほしい。法律的にもおかしい。
今日も小学校ではこんな過酷な日々が詰まっているのだろうか。
もっと、人間らしく働ける職場であれば、きっと子どもたちにも好影響を与えることが出来るのにと思う。
アップアップ状態が今日も続いているのかと思うと、「教師にならないか」という言葉を、青年になった教え子たちにかけにくい。
自分も嫌な仕事を人に勧めるのはおかしいと思うからだ。残念だ。
教員だけでなくSSWはじめ支援員さんなど様々な職種が入っている。
つまり、職員室の中は老若男女入り乱れて生存しているということだ。
時折70代の大先輩も働いておられるが、50代後半からやはり身体に変化が出てくる。
例えば、寒さや暑さに弱くなる。
疲れやすいなどだ。
これは若い時にはまったく気にしていなかったことだ。
例えば冬。
職員室で座っていても、みんなは少し寒いぐらいだろうが、老人は足元から冷えてきていてもたってもいられなくなる。
寒い会議室で長時間座らせるのは拷問に近い。
職員室では電気ストーブを足元に置いて作業しなければやってられない。
暑さはと言うと、外気と室内の冷房の温度差に耐えられない。身体がおかしくなる原因となるのだ。
その他、トイレが近くなるということ、
遅くまで仕事できない、早く帰らせてほしくなる。
もし無理して遅くまでやると、その時は良いが、必ず体調がおかしくなるからだ。
そういう若い時には考えられない身体の変化に対して何らかの配慮をしてあげることは、うまく老人教師を使うコツだと思う。
教員不足を少しでも助けることにつながると思う。
なにが10%に引き上げですか。
中教審が、残業代を支払わない代わりに一律支給される「教職調整額」を4%から10%以上に引き上げる文科省の素案を大筋で了承したらしいです。
今頃!!
10%の恩恵は今からの教員のみ。それまで、地道というかめちゃめちゃしんどいめをしてきたひと昔前の教員たちには何もないのですね。
今は、働き方改革のもと、部活動も水曜日が休みとか土日のうち1日は休むとか、休日の部活動はなしとか、部活動については教員への配慮があります。そして、平日も管理職も早く帰るし、平教員に早く帰れと言うし、とりあえず我々が休みなしで働いていたころよりましです。
今から10%にするて、精神的に限界までやっていたその教員たちの労働対価はどうなるんだ。
退職教員全員に何らかの支給をすべきだと思う。
まさか、どちらもどっち的な「お互いケンカしちゃダメだよね」と教えてはいないだろう。それは、民主主義の根幹を揺るがすことになる。
なぜ、こういう話をするかと言えば、ローマ教皇は暗にウクライナへの名指しは避け「白旗の勇気を示す」と伝えたからだ。
ロシアはそれを賞賛した。
このウクライナ侵攻の結末は日本の未来、世界の未来左右することは間違いない。
バイデン大統領がいうように「民主主義と専制主義の戦い」だからだ。
あえて言えば、その前哨戦となっているとも思える。
力で現状変更するロシアを許せば、日本の平和にも大きく影響するだろう。
無残にも罪のない市民が死んでいる現状に対して、ロシアが勝てば、日本もそうなる可能性が高まることをしっかり生徒へ教えるべきだろう。
もう平和ボケは許されないのではないか。
解答をPCなどで打って作成することも可となる日も近いだろう。いや、すでに来ているのかもしれない。
これらは、主に発達障害の生徒たちへの配慮だ。
生徒数が減っている中で、発達障害を含む特別支援教育を受けている生徒数は急激に増加している。
これから発達障害を受け入れる体制をおろそかにする私学は、大学進学を売りにできる進学校以外は経営困難になるのではないかと予想する。
中学校側は高等学校の対応を見ている。
中学校で心配だった生徒が高等学校で頑張っている姿を見るのはうれしい。この高等学校ならば信頼できると、送り込もうとするものだ。
私学の中には、入学生100人で卒業生60人と選別して卒業させ、進学率や就職率、資格の合格率を高めているところもあるようだ。だが、いつかは見破られ、見放される。
高等学校は発達障害への対応を迫られているが、公立のように予算がない。
私学の特別支援教育に公的支援が必要ではないのか。
学校でも同様だ。
1人1台の末端機器配布があたりまえ、電子黒板は当然。
そして、それらを扱えないのは私のような老害教員を除いて存在しない。
また、不登校生徒や特別支援教育を必要とする生徒への手厚い対応や合理的配慮。
部活動の日数や時間の制限。3年生の担任も把握できないような複雑な高校入試制度。
学校の電話は、夕方6時以降「本日の営業は終了しました」とアナウンスが流れる。
なにより教師の意識の変化が大きい。いろいろな意味で、ひと昔前の泥臭さがなくなりつつある。
昔は良かったとは言わないが、生徒指導主任はぼやく、「家庭訪問に行かずに電話でかたずけることが多くなってきた」と。
しかし、私はもう学校から去っていく。
さようなら
それは、4月から来るSSWにがっかりしている声だった。
介護の福祉業界にいた社会福祉士が資格があるというだけでSSWとして教育業界に来て、ただ職員室にいるだけになってしまう。
SSW自身もなにをしてよいかわからない、居心地が悪そうに職員室にいる。
残念だが学校はこのようなSSWから得るものはない。
教員がSSWに不登校や発達障害のことを説明しSSWが熱心にメモをとるのだから。
4月から来るSSWは前職で何をしていたのかを生徒指導主任は探っていた。
介護かそれとも児童相談所か。
これは大きく違うという。
SSWになるにはほとんどが社会福祉士か精神保健福祉士の資格が必要だ。
だが、資格よりも実際は前職の経験が99%ものをいうのだ。
SSWは柔軟に教員からも排出できるようにすればよい。
一定の研修を受けた教員にSSWをさせる。あるいは教員も社会福祉士をとれるような仕組みを実現することだ。
観点別評価と評定をつけなければならない通知表。
中学校で、12345の評価と観点別評価のABCの整合性が合わないときがある。
保護者にも説明がつきにくい場合があるので改ざんする。
前にも伝えたが、AAAAでも4になる時がある。
きれいにA評価をとる生徒がいるのだ。 しかし、実力的には4。
テストが88点でも評価がAAAAで「5」となるときがある。
93点でもAAABで「4」となるときがある。
テストで、どこの観点で点をとったかによって違ってくる。
Bがあれば評定は4になると規定すれば、93点をとった生徒を「4」とするのはあまりにも理不尽。
だから、整合性を考えて「5」にするためにBをAにするのだ。
あるいは、88点の生徒のAをBにして「5」とするのだ。
教師をしていて、これほど馬鹿な成績付けはない。
どの学校でもこの矛盾した問題がでている。
文科省は理解しているのだろうか。
机上の空論が現場に矛盾をまき散らす。
そのつけは現場の教員たちに押し付けられる。
不満な保護者と対応するのは教員。
文科省職員ではない。
不満な教員に対してこじつけの説明をしなければならないかわいそうな管理職たち。
見ていて滑稽しか感じない。
ああストレス。
ストレス。
高校では、今日卒業式があり、道すがら卒業した笑顔の高校生たちとすれ違った。のどかな姿を見ることができた。
私まで嬉しいような、しかし、寂しいような淡い気持ちになった。
さて、大阪市の教員が不適切な指導で停職3か月の処分を受けていた。
ニュースの記事には・・・
児童に対して、ノートを机に投げるようにして返却したり、提出物を見て「字が汚いからやり直し」「なんでこんなん分からへんの」、テスト中に回答を書く手が止まった児童に対し「はよ書きや、やる気あんの」など、暴言や威圧行為を繰り返したということです。 これにより、少なくとも5人の児童が「先生が怖い」として通常の教室での授業を拒み、一部の児童は今も別室に登校しているということです。・・
と記してあった。
良きも悪しきも、昔はこの程度、あったと思う。大体よくどつかれた。私の通知表の所見欄に「隣の子としゃべるな」など、今から考えれば、めちゃめちゃ厳しい言葉が記されていた。今なら問題な文言だろう。
私が小学校1年の時は、1月1日にみんな学校に行き、正月を祝っていた。先生から紅白まんじゅうをもらって帰った。そんな時代だ。
時代は変化している。その変化に対応した指導をすべきだろう。そういうことは誰でもいえる。実は私も昔は暴力教師だった。朝礼中にガムを噛んでいた生徒を注意しケンカになり、ぶっ飛ばしたこともある。
何も問題にならなかったどころか他の教師から褒められた。
話しは変わるが、この3か月停職になった教師。頑張れよと思う。
その生き方を変えるべきだ。
そのやり方では教師は務まらない。
生徒の話をよく聞くこと。まず、訊くこと。
そこから背景を知ることだ。
それができてようやく教師側の厳しい話が通る。
教師の人生も、いろいろある。
ある県のW先生は教頭まで上り詰めた。しかし、セクハラで降格、平教員に戻った。そこで教師人生は終わりだ。
周りから変な目で見られていたに違いない。
しかし、彼は頑張った。その県で指導していた部活動を優勝させ。全国ベスト8まで勝たせた。
これからまた教師としての花を咲かせることだろう。
しかし、舞い上がらず、謙虚に頑張ってほしい。
停職3か月になった大阪市の教員の方よ。そこからが人生だ。頑張れ。
しかし、自身が背負った痛みや、それ以上に生徒の痛みを忘れずに謙虚に頑張ってほしい。
処分になった教師の中には優秀な教師がいる。
私の知っている限りでは、ほとんどが優秀な教師だった。
本当に自分を変えて再起してほしい。
ただ、世間はそう認めないかも知れないが・・頑張ってほしい。
例えば、夜7時になっても教員たちが職員室に散見している。これは以前、私にとっての日常風景だった。しかし、今、異様に思える。
委員会のHPに載っている常勤講師の労働条件には17時までと記してある。
これは真っ赤な嘘だ。
笑うしかない。
こういう嘘の表記は法律に違反しないのだろうかと思ってしまうのだ。
中学校では17時はまだ部活動が終わっていない。
顧問は指導を放り出して帰ることはできない。
それに今日も3年生は17時から進路書類の点検をしていた。
「3年生だから仕方がない」と思い込み、だれも文句を言わない。
そういうことに文句を言おうものなら、熱意のないサラリーマン教師と思われるかもしれない。
私が朝学校に到着すると、部活動の生徒たちが走り回っている。そこには指導者が立っている。これも昔自分がしていた日常の風景だ。
しかし、変だと思うのだ。
なぜ、7時から教員は勤務しなければならないのだろうか。
思い出してきた。 生徒のためにやっているんだ。
生徒たちが喜ぶから、保護者が応援してくれて自分の評価が上がるからだ。
県大会出場!「先生すごいですね」と言われ「いやいや」といいながら・・
県大会〇位!! 心の中で「どうだみたかー」。
保護者からも生徒たちからも熱心な教師だと思われ、自分は熱血をやっているという大いなる満足感。
それが俺のえさだったことを今思い出した。
しかし、無意味とまではいかないが、今はそれらがなぜか色褪せて見えてきている。