教育再生から教師再生へ…教師が生き生きすると生徒も!

  ようやく新しい記事を書く気になりました。

個人的には相当しんどい時期なので、パソコンの前に座っても書く気には慣れなかったのですが、今日、新聞の一部を友人がファックスしてくれていました。その記事を読んで興味を持ちました。

それによると、関西学院大学の野田まさあき教授が――「させる教育」の構造映すいじめ――と題して文を書かれていましたので、それについて紹介し私見偏見を書きます。

                    

野田教授曰く…

いじめに苦しむ者から文科省へ自殺を予告する手紙やメールが日ごとに増えている、との報道があった。9通、16通、22通…。

すべての手紙が児童生徒からのものではないであろうが、それにしても、凄まじい子供たちの復讐である。

報道はピッタと止まった。

死の叫びのなかにある抗議に気づき、政府が国民一人一人に直接対応しているわけにはかないと身構え直したのか。

だが、文科省と都道府県教育委員会に届く死の叫びの分析だけでも、学校教育の病理が見えてくると思われる

                     

と初めに書いて次にいじめを分析している。

いじめは1980年代中ごろより急増した。

校内暴力が教師の反撃や警察によって押さえ込まれた後、子どもたちの攻撃性は「いじめ」と「いじめられ」の陰湿なゲームに内向していった。

被害者はそれぞれの時点ではほとんど一人だが、その一人がいなくなったり、誰かがいじめられている子をかばったりすると、容易に対象を変える。

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…感じたことを警戒なくしゃべってしまえば、何時それがいじめの材料にされるかもしれない。

こうして子どもたちは表面的におとなしい子どもを装いながら内面を閉ざすようになった。

彼らの親たちが会社に過剰適応し、過労自殺していった社会現象を、数年後から子どもたちが追ったのである。

ここから、いじめの3つのケースと題して野田教授の分析が始まっているがここでは省略。

興味深いのは「大人のまね」と題して書かれてあることである。

文科省のいじめの定義は「自分より弱いものに対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、相手が苦痛に感じているもの」となっている。

これはそのまま、強者である文科省-教育委員会-校長のラインが書類ずくめの強制で教師に加えている暴力に当てはまる。

 

こどもたちは背後からしっかりと見ている。

                 

野田先生、もう一声かけて欲しかったですね。文科省^-教育委員会-校長教職員までね。

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最弱者は教職員ですよ。この一般教職員がどれほどストレスを抱えているか。怖ろしいほどです。

よく毎日耐えているなぁと思います。

野田先生が言われるように、無意味な書類、無意味な外向けの評価を気にした教育実践。そのために費やすエネルギィーは次に徒労感に移行し教員のストレスとして溜まる。

子どもに還っていく仕事なら教師は比較的ストレスを感じないですよ。

でも子どもに何も還らない、明らかに校長や市教委の面子のために頑張る仕事がみえみえだからストレスが溜まるんですよ。

どうしても上にいけば面子、体裁、評価一本になってしまいがちですからね。 

そんな教師の姿を生徒は肌で感じているでしょうね。

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さて、野田教授曰く…

教育は「する」ものであって、「させられる」ものではない。

教師が同じ学校で落ち着いて働けていれば、教師と子どもの人格的ふれあいが当然ある。

もし、、いじめがあると思えば、教師はいじめている側を呼んで調査報告書を作ったりせず、彼らと一緒に遊んだりするであろう。

そうすれば彼らの人間関係、彼らの不満が見えてくる。

                野田教授!まさにその通り!ですよ。

V

大学教授は外から学校を見て客観的に分析しているだけと思っていましたが、この野田教授はよく中身も分かっていらっしゃると思う。

そして極め付けが…最後の一言ですね。

                          

こんな時間を与えずに、教育を破壊した者たちが教育再生などと命名して、「させる教育」を論じている。

野田教授、あなたこれが一番言いたかったことじゃないですか。私には誰のことを言っているのかはわかりませんが、かなり怒り心頭ですよね。

現場を分かっていない人が教育再生を論じている。といいたいのでしょう。

例えば、いじめをしたものを登校させずに出席停止措置をとると一時言い出したり、他のメンバーが反対したので、折衷案として、別教室での指導をすると落ち着きましたが。

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無理ですよ。初めの自宅謹慎措置はかなり無理。

それが出来る現場であればすでに深刻ないじめはないですよ。いじめている現実が教師も分からない。或いは教師も分かっているがどうしようもない。

これが深刻な自殺にいたる時の実態ですよ。

 たまに教師の怠慢や教師のいじめもあるようですが。

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また、別室指導なんてよっぽどひどい場合か、しっかりいじめの証拠をつかんで〈いじめられている子がしっかりいじめられたと言ってくれる状態)でないと出来ないですね。

或いはいじめている側がわりとまともな時はすんなりと解決、(あたりまえか)。

逆に証拠もないのに指導すると他の先生方もご経験があると思いますが、いじめてるほうに逆手をとられて今後の指導が困難になります。

いずれにしても強攻策をやるなら出きる環境を学校、教師側に十分に作ってあげてからですね。

 

出席停止はまず同和校ではできないでしょう。

それをしってますか?再生会議の方々。

福岡中2いじめ自殺事件も同和校という枠組みの中でのことですよね。複雑です。

教師の評価、学校の評価をすることはそれなりに成果はあると思いますが、学校評価を上げる為に必修科目の未履修を発生させ、委員会も黙認する暗黙システムを作り出すのは本末転倒ですよね。

また、教師の評価はそんなに簡単にできるものじゃないと思うのですが。

みなさんどう思われますか。

プロ野球でもなし。

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最近新聞では指導力不足教員排除のために免許法など様々な締め付けが増えていますが、残念なことに指導力不足教員でないものも非常にプレッシャーが掛かっていると思いますね。悪い意味で。私も。

教師は他から見てどのように評価されているのかを常に気にしながら、体裁を整え、書類つくりに励み頑張りだすでしょう。

本当に昔の先生的な人は切り捨てられ、評価されず、すたれていくでしょう。

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ドンくさい教師がいてもいいじゃないですか。誠実にがんばっているならきっと生徒からしたわれますよ。

外向けの研究や文書作成が少々へたでもいいじゃないですか。校長先生を引き立てられない教師でもきっとよいところはあると思いますけど。

 

 

 

 

 

京都新聞12月8日号文化欄を親友よりファックスいただきまして、私見偏見を書いてみました

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2006/12/08 20:01 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択

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